どれだけ長く一緒にいても、相手のことを100%把握するなんてのは無理だと思っている。
それが家族や友達だとしても。
大学生の頃、喫茶店でバイトをしていた。
自家製のコーヒーゼリーを使ったパフェもメニューにラインナップされている店で、僕が働いている時間帯はちょうど期限が切れたコーヒーゼリーを捨て、新しいコーヒーゼリーを作ることが義務付けされていた。
しかし、僕は大のコーヒーゼリー好きであり、タッパーに残る全く使われなかった綺麗なコーヒーゼリーをゴミ箱に落とす行為が本当に辛かった。
その事を当時の彼女(つまり今の嫁)に話したとき、「それはもったいないね」という、普通の反応が返ってきた。なんでそんなに熱くなってるの? 確かにもったいないけども、みたいな感じで。
まあそんなこともあるか、とそのときはあまり何も思わなかった。
そして社会人になり同棲を始めた頃。一緒にスーパーで買い物をしているときに、二人で好きなデザートを買おうということになった。
もちろん僕はコーヒーゼリーをカゴに入れた。
「コーヒーゼリー?」と彼女。
「うん。好きだし」
「え、初耳」
「嘘? 言ってなかったっけ?」
記憶を遡る。
確かに言ってはいない……かもしれない。
「えー好きだったの? ……待って! じゃあさ、喫茶店でバイトしてたときコーヒーゼリー捨ててたって言ってたじゃん! あれすっごく辛かったんじゃない!?」
「そうだよ! 拷問だったよ!」
なんてことがあった。
それからは彼女の脳内メモに
こいつの好物→コーヒーゼリー
が追加され、時々買ってきてくれたりするようになった。そういう気づかい、けっこう嬉しい。
こんなこともあった。
ソファで二人並んでボーッとしていたとき、ふと彼女の横顔を堪能してやろうと横を向いたとき、気づいた。
「耳、小さくね?」
そして彼女の耳たぶをふにふにする。
「そんなことないよ」と彼女。
「いや、小さいって」
「えー」
どうやら自覚はないらしい。
しかし鏡を見て「あー小さいかも」と思うようになり、彼女のお母さん(僕のお義母さん)に「私耳小さい?」と尋ねて「小さいよ」と返される。
どうやら小さいらしい、と自覚し、ハッと気づく。
「……どおりで耳にかけた髪がすぐに落ちてくるわけだ(迫真)」
それ以来、耳を畳んで「餃子ー」ってやるときも「“小さい”餃子ー」ってわざわざ言うようになって、一芸を得た。
とまあ、パートナーの新発見を僕たちは楽しんでいた。そしてきっと今後も楽しんでいくだろう。
どんなに相手のことを好きでいても、どんなに相手のことをよく見ても、どんなに相手と一緒にいても、新たな発見がたくさんある。
よく、社内の女性にパートナーと円満に過ごすためにはどうすればいいかと相談を受けるのだが、その人たちは決まって、
“相手のことを全部わからなきゃいけない”
みたいな謎の使命感に駆られている人が多い。
そんな人に返す。
「好きな人であっても、いくら籍を入れても、結局は他人じゃないですか。むしろこれから見つかることへの楽しさを見出だすことが大事だと思うんです」
と。
例えば、ホクロの場所とかでもいい。好きな音楽でもいい。
それが共有されて、今度は二人で楽しむようになって、自分だけの楽しみだったのが二人の楽しみになる。
そういう時間が、円満の秘訣に繋がる。
そう思っている。
こんな風に、二人でボウル一杯のコーヒーゼリーを作って食べる夜は、とても楽しかったから。