書き殴る

 

とても小さいそのミニチュアダックスは、登録し直せばカニンヘンになります、と言われたくらい小さかった。

 

「犬が欲しい。できればこれと同じやつ」

と、ブラックタンのミニチュアダックスのぬいぐるみを指差して弟が両親に直談判したのは小学生くらいの頃。

そのぬいぐるみは幼稚園児の頃からずっとお気に入りのシロモノである。

その子ども心を真っ向から否定するのもなーということで、父は「成績表を全て◎にするか、マラソン大会で1位になるか、ソフトテニスの全国大会に行ったらいいよ」と条件を出した。これはかぐや姫が貴公子に押し付けた無理難題のようなもので、これなら買うことにはならないやろ、という浅はかな考えから出た条件だった。

それまで成績はお世辞にも良いとは言えないし、マラソン大会も1位の子に勝つには厳しいレベルだし、ソフトテニスも二回戦進出したら頑張った方だった弟にとって、確かに無理難題ではあった。

 

しかし、弟はソフトテニスの予選大会で番狂わせに番狂わせを重ねてまさかの優勝。晴れて全国行きの切符を手にした弟は、父に電話で優勝報告をする際「パパ! 犬! 犬!」と騒いだという。

約束した手前、「あれ嘘でした」とは言えなかった父は「わかった」と返事をし、我が家にワンちゃんをお招きすることになった。

 

「とびきりのかわいい子がいい」と母、「女の子がいい」と父、「色はブラックタン」と弟。それぞれの条件が揃った子を見つけるのに1ヶ月。

ようやく見つかったその子犬はその全ての条件をクリアしたあげく、お気に入りのおもちゃがテニスボールという、まさに我が家に来るために生まれたんじゃないかと思うくらいぴったりの子だった。弟の優勝で来てくれたことから“ティアラ”と名付けて、我が家に来た。新しい家族だった。

 

弟がまだ母のお腹にいる頃、つまり胎児のときのこと。胎内には二人いた。弟は実は双子だった。

しかし、何週か後の検査でいなくなってしまった。いわゆるバニシングツインというやつで、生まれることなく姿を消してしまったことがある。

そのせいか、両親はティアラをどこか生まれてくるはずだったその子に照らし合わせていたところもあって、ペットなんていう言葉を使いたがらなかった。エサとは言わずご飯と言っていたり。

 

ティアラが来てから数年経った後、恥ずかしい話だが家庭内もバラバラになりつつあった。選択肢を間違えていたら親が離婚するところまであったと思う。それくらいギリギリなところまでいった。

けど、ティアラの存在があったおかげでなんとかなった。軌道修正して今までなんとかやってこれたのもティアラのおかげだと思ってる。愛くるしさは武器。見てたら怒る気持ちも失せて一度冷静になれる。

なにより、離ればなれになったらせっかく会えた娘に会えなくなるんだぞ、という切り札的存在だった。

 

そのうち、僕が大学生を経て社会人になり、ぼちぼち家を出ようかな、なんて時期になり。同時期に弟が県外の大学に行くことになり家を出ることになって。

物理的に距離が生まれた頃には、ティアラは老犬だった。

もっとも僕は実家との距離は大したことなく、車で五分走れば会えるわけだけど、衣食住を共にしていたときから比べたらティアラと会う時間は格段に減ったし、弟なんて月1会えればいい方だった。

だからだろうか、たまに会うティアラの衰えは親よりも感じていたと思う。

 

そして、二月頃。ティアラが白内障になった。綺麗だった目が明らかに白くなっていた。思えばそこから調子がずるずると悪くなっていったと思う。母からのLINEでティアラの報告をしてもらっていたが、食事療法をしながら過ごすようになり、それでもあまり血液検査の結果は良くないという報告には毎回心を痛めていた。

 

そして、世の中は新型コロナウィルスであちらこちらで自粛ムードになって。

ティアラはご飯はすぐに吐いて、かつ便が出なくなってという状態まで衰弱してしまった。ご飯は食べれないから薬もあげられず、嫌いだった注射が増えてきて。もちろん散歩も行けなくなってしまって。

 

つい先日の母の日。嫁の誕生日を盛大にお祝いしてもらったこともあり、嫁チョイスのとびっきりのプレゼントを用意して持っていった。

そのとき、ひどく痩せこけたティアラが母に抱っこされていた。もうきっと僕のことはボヤーっとしか見えてなかっただろうけど、声に反応してくれたのがすごく嬉しかった。

 

これが、僕が最後に見た生前のティアラだ。

 

 

 

昨日の夜、突然母から電話がかかってきた。

今から夜間もやってる御殿場の動物病院に行く。話す言葉が断片的だったからそれだけしかわからなかったけど、もうこの時点で覚悟した。

明日仕事の嫁には来なくていい、寝ててくれ、と告げて、自分自身がパニックにならないようにわざとゆっくりした行動で身支度して実家に向かうと、車はないのに玄関は開いていた。中に入ると誰もいなくて、電気はつけっぱなしだった。そのあと再度電話が来て、玄関開けっぱなしで出ちゃったから閉めてといてくれ、とのこと。

そこでようやく、動物病院の場所を聞き、高速に乗り込み、真っ暗な道を走った。

 

幸いにも動物病院はICのすぐ近くのところで、父は駐車場で待ってくれていた。

そして、病院に入ると、すでに顔がぐしゃぐしゃの母が、ボーっと座っていた。

 

その直後。本当に座る間もなく。

 

息を引き取ったティアラが、先生に運ばれて出てきた。

母は泣きじゃくって、普段ユーモラスな父も明らかに涙を堪えて、僕も必死で奥歯を噛んで耐えて。

まるでまだ眠ってるんじゃないかと思うくらい綺麗な顔で、ティアラが永眠した。

 

別々の車で帰路につき、ちょうど長泉くらいを過ぎた頃だと思う。

 

一筋の流れ星が見えた。

 

その瞬間、涙が止まらなかった。高速道路だから危険極まりないんだけど、我慢できなかった。

 

家に着いて、しばらく駐車場で泣きじゃくってから戻った。翌日仕事のある嫁を起こしたくなかったから。

でも、嫁は起きてくれていて。なんなら全然寝付けない僕が眠るまで起きてくれていて。

 

そんな風に、夜が過ぎた。

 

コロナの影響で会うことすらできない弟はどれだけ悔しいだろう。娘を失った両親はどれだけ悲しいだろう。僕で泣くんだから、みんなはどれだけ泣くんだろう。

 

今も、ふとした瞬間に泣いてしまって、まともな思考じゃいられないんだけど、とにかくなにかを残しておきたくて、とりあえず書き殴りました。

 


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ずっとずっと苦しかったであろうティアラが、ようやくその苦しみから解放されたと思います。

我が家で過ごせて幸せだったかな。幸せだったら僕は嬉しいよ。