Phill Collinsの「one more night」という曲をご存じだろうか。
あ、これ聴いたことある、という人は多いと思う。有名な曲だ。ちなみに僕の父が車内でよく流していた。それもかなり小さいときから。
幼かった僕は“one more”という英語が“もう一度”の意味だというのは理解していたが、この“night”がなぜが“rice”に聴こえていた。つまり僕の中では“one more rice”であり、この曲はおかわりのことを歌っているものだと勘違いしていた。
やけにお洒落なおかわりである。
この“おかわり”だが、僕は苦手である。
たい焼きを買って食べたあと、まだ少し物足りないと感じてもう一匹買って食べ進めると、(あ、やばい。もうお腹一杯だ)となることが何回もある。
ご飯おかわり自由の家系ラーメン屋で、ご飯をスープでおじや風にして食べれば何杯でもいけるぜと高をくくって失敗したことが何度もある。
ナン食べ放題のインドカレー屋ではナン二枚目の終盤で腹が悲鳴をあげることは何回もあった。
つまり、胃と会話することが壊滅的に下手なのである。加えて、なんとかなるだろうという根拠のない自信が助長し、死のロードへ誘われるのである。
そんな性分の自分であるから、流石に学習した。極力自重するようにした。腹八分目に医者いらず、と昔の人が言っていたんだから間違いない。
そこまでしたって腹八分目のつもりが満腹になるときさえあるのだ。調子には乗らない方がいいんだ、僕は。
それに、キャパオーバーのせいで美味しく頂けないのは食べられる飯の方にも失礼だ。
しかしある日の晩御飯。
有名な精肉店の美味しい馬刺、そして彼女がその場で揚げた天ぷらというラインナップを美味しいウィスキーをお供に頂いた。至福、至高のラインナップにアルコールは進む。
カウンターキッチンの家にしてよかった。料理をしている彼女と会話しながら酒が飲める。うまいに決まってる。
「楽しそうで何より」と、良い身分の僕を許してくれる彼女をゲットできた僕は世界一幸せな男に違いない。
もはや自分の状況にすら酔い始め、普段よりハイペースで進む酒。
腹のキャパは問題なかったが、普通に二日酔いになるのは当然だった。
そしてその翌日、彼女と行きつけの喫茶店でコーヒーを頼む。
酒明けの日に味噌汁やコーヒーを欲するのは、アルコールの利尿作用による脱水状態から来る。
運ばれてきたコーヒーを飲み、あーうまい、と漏らす。
元々うまいコーヒーも、今日は格別にうまい。
あっという間に飲み干してしまった僕だが、不意にやってしまったと後悔する。
ここの店のコーヒーは元々うまい。それもかなり。
そのコーヒーを飲む際、一口一口丁寧に飲むようにしている。ずっと飲んでいたいけれど、飲んでいたら終わってしまう。ならば、その全てを楽しまなきゃ損だ。だから口に含んでから喉を通し胃に至るまでの全てを感じるようにして飲む。それくらいしなきゃ失礼なくらいうまいのだ、このコーヒーは。
しかし、喉の乾きがコーヒーを楽しむことを凌駕し、早々に終わらせてしまった。
そう。要はもったいない飲み方をしたのだ。
バカだ。なんてバカなことをしてしまったんだ。
しかも一緒に頼んだシフォンケーキやピスタチオや生チョコまである。
おいおい、こいつらを水と一緒に食べるのか。
でも、コーヒー二杯目だぞ。それは許されるのか?
また美味しく飲めないなんてことになったらどうするんだ。今回は罪が重いぞ。お気に入りのコーヒーを自分自身で不味くするのは──
「おかわりしてもいいよ」彼女が言った。
「へ?」アホみたいな声が出る。
「飲みたいんでしょ? おかわりしてもいいよ」
「いやでも」
「なに」
「二杯目だし」
「大丈夫。二杯目も美味しいから」
「絶対?」
「絶対」
運ばれてくる二杯目のコーヒー。
一口、飲む。
あ、うまい。
ふと彼女を見る。
「よかったね」
彼女も微笑みながらカップを傾ける。
僕はおかわりは苦手だし、今後死ぬまで下手なままだと思う。
でも、下手でよかったと思う。
僕が彼女を惚れ直すことになったのだから。