紙の本で読書を続ける理由

「ほしくんは紙の本派なんだね。俺は断然電子書籍派。紙には戻れない」

昼休みに本を読んでいた僕に言った上司の何の気なしの一言だった。

(昨晩めちゃくちゃいいところで読むのをやめたため、どうしても読み進めたくて職場に持ってきた。普段はこんなことしない)

別にマウントを取ってきたわけでもないし、僕が電子書籍アンチというわけでもない。

けれど、この派閥は時に争い、その争いというのはなんだかずーっと続いているような気がする。

結局好みの問題だから、どっちがどっちという結論は出ないのに。

 

僕は電子書籍も利用している。

けれど、“も”というだけあって、僕が本買うとき、それは紙の本を買うことを意味する。

僕のライブラリに入っている小説は、一つだけ。

それは本当にふと突然読みたくなる、短編小説だ。

書籍でも発売されているが、短編集のなかの一つなので、持ち歩こうとすると文庫本一冊丸々持ち歩かなくてはならないし、読みたいのはそのなかのたった一つ。

だから電子書籍で買った。欲しい短編だけを買えるのは電子書籍の隠れたメリットの一つだ。

あとは紙の本を買っている。

 

上記のように、電子書籍のメリットを理解し利用している上で、なぜ僕はそれでも紙の本を買ってしまうのだろう。

ふと、考えてみた。

 

 

①レイアウト

特にミステリーを読むときにこれが大事。

例えば【十角館の殺人】。

 

 

 

確か、新装改訂版は「あの一行」が、ページをめくったところにある。

 

また、京極夏彦の小説は全て文章が一ページにまとまっている。わかりやすくいえば、ページを文章がまたがない。

 

それこそ僕が昼休みに読んでいた小説【十戒】も、とある一文がページをめくったところにあったから、より面白味が増した。

 

 

 

 

しかし、電子書籍は好きな文字の大きさに変更できるせいで、こういうページレイアウトが変更されてしまう。

作者がこだわったレイアウトを自ら壊し、面白さが半減する場合があるとも言える。

 

 

②本屋で本を見つけ、買う、という行為がもう楽しい

 

これはもしかしたら少しズレているかもしれないが、本屋で本を物色し、レジまで持っていく行為そのものが楽しいと僕は感じているのだ。

本屋で平積みにされている本が、人気作や新作ではなく見たことのない本だったり。

本屋店員が客に推すために一所懸命作ったポップが面白かったり。

古本屋だったら、ちょうど読みたいと思っていた本が破格の値段で売られているのを見つけたり。

とまあ、本と出会うことがすでに楽しみになっている自分にとって、電子書籍はその行為がまるっきり違ってしまうのは楽しさが減ってしまう要因なのだと思う。

 

 

つまり

 

作者が紡いだ文字を読み、自分に蓄えるという行為そのものに、紙か電子かの差はない。

よく紙派が電子派にいう

  • 紙のよさがある(紙やインクの匂い)
  • 目に良くない
  • 場所を取る
  • バッテリーが切れたら読めない

といったデメリットは、僕にとってはそんなに感じない。

全然違うところに僕は紙の本の良さを見出だしている。

 

思えば音楽を聴くときも、サブスクがどう考えても便利なのにCDを買っていたりする。

けれど、これもCDのブックレットを読んだり、ディスクまで凝られたデザインを楽しんだり、アーティストがこだわったであろう曲順をその順に聴いて、アーティストの伝えたいメッセージをなんとか読み取ろうと楽しんでいたり。

音質のことはあまり考えていない。

要するに、僕にとって、新しい便利なテクノロジーかどうか、古き良きアナログの良さ、は眼中にないのだった。

その作品に対して、より向き合えるのはどちらか、に尽きるのだ。

 

 

最後に

 

かつて活版印刷だった本は、今よりも高価で価値のあるものだったと聞く。

けれど、技術が進歩して簡単に本を作ることが可能になり、あらゆる人が簡単に手に入る世の中になった。

音楽だって、カセットテープやレコードなんてのは一部を除いて絶滅したに等しい。

そんな風に、技術革新にともなって世の中は変わっていく。

もしかしたら紙の本もなくなり、CDもなくなり、電子書籍とサブスクだけになり、もっと未来にはそれさえもなくなって別の媒体になっているかもしれない。

それは別にそれでいい。

でも、僕は思う。

紙と電子、両方あって、両方を好きなように使える今の時代は、むしろいいじゃない、と。

だから僕は、ライフスタイルと考え方に合わせて、どちらも好きなように利用していく。

くだらない派閥争いしてる人たちより、そのほうが絶対楽しくて幸せだ。